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固定電話の歴史を振り返る
一般家庭に設置されたのは、ダイヤル式の黒電話でした。これは電電公社が電話機を各家庭に貸し出していたのですが、プッシュホンの開発で急速に電話機が進化していったのでした。
パルス式からトーンダイヤル式へ信号が変化
1950年に「4号自動式卓上電話機」が開発されました。これは一般家庭に広く普及した黒電話の初期のバージョンです。電話の需要が増加したことに対応して大量生産されました。
そして1962年には「600形電話機」が誕生し、これは完成された電話機と言われました。ちなみに家庭向けの電話機のことを黒電話といっていましたが、1971年からはホワイトやグレー、グリーンの3色カラー化も始まり、黒にかぎらずカラフルな電話機が使われるようになりましたよ。
一方、前回ご説明した委託公衆電話についても開発が進み、1953年に生まれた「4号自動式ボックス公衆電話機」は、そのカラーリングから別名「青電話」と呼ばれ、10円硬貨を用いた公衆電話として電電公社が設置を進めましたが、相手が通話中でも最低の10円が取られてしまうという構造上の欠陥によって不評となり、次に誕生する赤電話(5号自動式ボックス公衆電話機)へと取って代わられるようになります。
1955年に誕生した赤電話は、受話機を戻せばフックレバーとの連動で料金が返却される仕組みとなりました。これ以後、公衆電話機はすべてこの料金前納式となっていきます。
なお、1959年にはピンク電話と呼ばれる特殊簡易公衆電話が誕生します。これは一般加入電話を公衆電話としても利用できるようにした電話機で、人の出入りが多い場所に設置し、利用した料金を設置した者に支払うという方式が取られています。
なお、これらの電話機についてはすべてパルス式といわれる信号方式が採用されています。
これに対し、1964年にはトーンダイヤル方式の電話機が開発され、アメリカのAT&T社でサービスが開始されました。
日本でも1969年に「600P電話機」が誕生し、初めてプッシュホンサービスが始まりました。パルス式電話機は、ダイヤルを回転させる方式で、例えば1を回せば1個のパルス、5を回せば5個のパルスが発生、それが電話番号として伝えられるという仕組みです。
これに対し、トーンダイヤル方式はボタンによって異なる周波数の音が発生し、それによって電話番号が決定するというシステムです。このため電話番号を送信する時間が大幅に短縮するという画期的な開発だったのです。
ただし、パルス方式と基本が異なるため、加入者の電話回線をトーンダイヤル回線に変更する必要がありました。なお、現在の押しボタン式電話機は両方の方式に対応しています。
進む電話の多機能化
プッシュホンの発明以降、電話機の多様化が進んでいきます。1970年代に入ると「キャッチホンサービス」が始まるほか、テレビ会議サービスの商用実験が始まり、1984年には実用化がスタートしました。1973年には電話FAXサービスも始まり、1975年には国際ダイヤル通話もスタートするなど、本格的に電話機が多機能化、多様化する時代へと突入していきます。